大人のADHDというキーワードが巷で聞かれるようになって久しい昨今。
「大人のADHD」なんて言いますがそもそも発達障害なので、大人になってから発症するわけではないんですよね。
生まれながらの特性を、カバーしながらなんとか普通を装って生きてきたけど
社会人になって責任を求められたり、母親になってマルチタスクを求められるとその特性が露呈してしまうとのこと。
まさに私もその王道路線を歩んでまいりました。笑
この記事では大人になってADHDの薬を服用し始めた私の幼少期エピソードをご紹介します。
大人になって発覚したADHD傾向。小さい頃の困りごと。
当時ADHDという概念があまり無かったのか、問題として指摘されることはなかったのですが、とにかく育てづらい子どもだったと思います。
ただ、「何をやってもうまくできない自分」というのは幼い頃から自分の根底にありました。
当時周りが「ん?!」と気付いてサポートしてくれていたら少しは違ったのかな、と思うこともあります。
(大人になって気付けて、投薬を始められたので本当によかったです。)
幼少期の記憶、通知表のコメント、親との話からの以下困ったエピソードのまとめです。
幼稚園にちゃんと通えない。
3歳~幼稚園に通い始めました。
誰でも最初は行き渋るもの。でも子どもって適応能力が高くてすぐに環境に馴染むんですよね・・・。
(ADHDではないと今のところ断定されている娘を見ると本当にそう思います。)
幼稚園の頃の写真を見返しても、大体真顔。
馴染めないうえに、物を隠されたりといじめられた記憶も。
卒園まで結局うまく適応できなかった気がします。あまり楽しかった記憶ないな。
小さい頃から睡眠障害
これもハッキリ記憶があるのですが、とにかく不眠気味。
頭の中の空想が広がり続けてなかなか入眠できない。
反対に、眠りすぎてしまうことも。
ただ、これは小学生になって体を動かす習い事を始めてから改善されました。
今は入眠障害はほぼなくなりましたが、過眠気味でしっかり睡眠をとっていても日中眠たくなります。
集中することが難しく、授業が理解できない
小学生の頃、本当に勉強できないというか先生の指示がぱっと理解できなくてつらかったのを覚えています。
算数の授業なんかは、本当に理解できなくて居残りになったり、隣の子の回答をこっそり見たり。
どうしてみんなそんなに理解できるの?!と子どもながらに思っていました。
ただ、3年生になるあたりでさすがに母親もこのままではマズいと思ったのか学習塾に連れて行ってくれました。
集団授業では理解できなかったことも、1対1で先生が教えてくれたので理解することができ、ドンドン勉強が楽しくなっていきました。
話や勉強を理解するのには人一倍時間がかかるけど、理解できたらサクサクとできるようになる、という感覚がありました。
幼馴染も、「なんか突然勉強できる子になったよね(笑)」と。
そして勉強「は」できる子どもとして成長していくのでした。
止まらない空想
小学生の頃の話ですが空想の内容はなぜか覚えています。(笑)
当時「お茶犬」が流行ってそのマスコットを持っていたのですが
ぼーっと授業中に外を眺めては、お茶犬の世界を妄想していました。
※他、多数。
とにかくよくケガをする
よく転んでしょっちゅう傷だらけ。
小学生になると毎年とまではいかないけど、数回骨にヒビの入るケガをしました。
目に見える多動は少ないけど、困りごと山積の幼少期
教室を走り回ったり、座れなかったりという落ち着きのなさはなかったようですが
その代わり頭の中がとにかくぐちゃぐちゃで溢れかえっているタイプだったのだと思います。今振り返ると。
怪我の多さや、宿題やテストの間違い等を踏まえてよく親から「注意力散漫だね」と言われていました。
女の子のADHDは目に見える多動は少なく「不注意優勢型」が多いそう。
私も幼少期を振り返るとまさに「不注意優勢型」でした。
ただ、目に見える多動が無いと思っていたのは実は私だけで、
夫からはフラフラ歩いたり、貧乏ゆすりをしたり、とにかく何かモゾモゾ動き回っていると指摘されているので、自覚が無いだけで結構動いているみたいです。とほほ。
次の記事で問題起きまくりな思春期編をお送りします。